THE ICONS

THE BLAZER

「i-D」誌のファッション・フィーチャー・エディターとして活躍するオスマン・アフメドにとって、ジャケットは洗練と野趣が見事に共存するパーフェクトアイテム。オスマンが明かす、ジャケットの魅力とは?

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Woman in workwear clothing

ファッションについて、ひとつ確実に言えることは、昔着ていたものは今の自分のスタイルの構築に少なからず影響しているということ。私の場合は、それが学校の制服―ペラペラの白シャツ、黒いテフロンのパンツ、ストライプ柄のネクタイ、紋章らしきモチーフが刺繍された派手でゴワゴワするジャケットだった。

英国で育った人なら、誰でも似たようなものを着ただろう。生意気ざかりのティーンエイジャーだった私は、時に叱られながらもなんとか自分らしくアレンジしようと画策したものだが、数十年後にその制服とそっくりなスタイル――黒いワイドパンツとパリっとした白シャツに、完璧なテーラード仕立てのジャケットと洗練されたデザインにアップデートされてはいるが――が、ボンドストリートの高級ブティックで目の玉が飛び出るような価格で売られるスタイルであるとは、当時の私には知るよしもなかった。

このいわゆる「制服」スタイルは今も私のワードローブのベースであり、着る服を考えるという日々の疎ましい習慣をなくしてくれる頼もしい存在である。10代の私なら、他人と同じ格好なんてクソくらえと思っただろうが、大人になった今はザ ロウのスタンダードなテーラードアイテムがショップに入荷されるたびに早く試着したいとワクワクしている。そしていつでも新たに黒いパンツを買うつもりでいるのだ。

そしてある日、私は気付くのだ――個性は必ずしも着るものを通して表現する必要はないのだということに。特にカミソリのように鋭く研ぎ澄まされた袖、ワイドラペルでダブルブレステッドのカシミヤ製ジャケットをまとっている時には。もちろん私もファッションエディターとして、日常の中にあるクリエーティビティやキラキラしたもの、狂気を感じさせるものに目を向けるべきであることは心得ている。

ただ、余計な要素を削ぎ落としたタイムレスな輝きを放つ洋服は、個性や手入れの行き届いた顔を引き立ててくれるという点でとても価値があるというのもまた事実だ。私だって超個性派の着こなしをする人たちは尊敬しているけれど、いざ自分の出番となると、ワードローブにある膨大な量の洋服を前に「何も着るものがない!」と嘆きつつ、ついつい間違いのないことがすでに証明されているこの「制服」に手を伸ばしてしまうのだ。

Woman in workwear clothing

実際、私のワードローブを全部並べたら同じようなジャケットが少なくとも20着は見つかるだろう。その中には日常の試練に戦いを挑むべく身につける鎧のようなスーツの上着もあれば、定番スタイルを独自の視点から再解釈したようなデザインもある。ジャケットやスーツとはそういうものであり、それが19世紀以降のファッションスタイルのベースにあることはもはや疑いはない。時代遅れに映ることもあるかもしれないが、それをなんとかするのが偉大なデザイナーの役割である。シンプルなオムレツを素晴らしい一品へのアップデートするミシュランの星付きシェフのように。

才能あるデザイナーであれば、きっとジャケットのデザインを劇的に進化させる方法を知っているだろう。彼らにとってジャケットは、実験のための真っ白なキャンバスなのだから。フォーマルなドレスコード、働く環境や学校の制服と密接な関係があればあるほど、テーラリングの技術は熟し、そこから新たな発明や進化が生まれてくるものなのだ。

ここで、まずサンローランに目を向けてみよう。彼は紳士服であるタキシードにヒントを得て、20世紀史上最もセクシーと言われる女性用タキシード「Le Smoking」を生み出した。終末世界のような暗闇の中で妖艶な美しさを振りまくファッション写真で、それまで女性的であることを重視してきたレディースファッションの規制概念を打ち砕いてみせた。

次に、コム デ ギャルソンの川久保玲。彼女は、その悪名高き冷徹さでジャケットを解体し尽くし、そこから再構築するという作業をずっと続けている。そしてバレンシアガは、ジャケットを風刺画か思うほどに巨大化させて新しいプロポーションを提案し、ストリートウェアに傾倒するスニーカー狂ら、新世代のファッショニスタの心を掴んでみせた。グッチのアレッサンドロ・ミケーレの存在も忘れてはならない。彼はジェンダーフルイディティ(性差流動性)を強調するかのように装飾過多なモードを提案する一方で、デヴィッド・ボウイが生み出した「シン・ホワイト・デューク」風のクラシックなスタイルにも傾倒している。

いくつか例を挙げてみたが結局ジャケットの評価すべき点は、学生時代に毎日身につけていたあの制服と同じくらい、とても身近で快適であることに尽きる。そしてまた、あらゆるオケージョンに対応できる度量の深さも持ち合わせているのだ。

そしてジャケットはドレスコードが設定されるようなシーンでも役に立ってくれる。ジャケットを着ておけば、少なくともその場に相応しくないとは誰にも思われないからだ。もっと言えば、真っ当な社会人であるという印象を与えることもできるだろう。それをビジネスシーンで生かそうとする人もいれば、権力を誇示するために利用する人もいるだろうが、大半は「何があっても冷静に対応できる自分」を演出するために着ているのではないだろうか。

カジュアルな場面でも、ジャケットさえ着ておけば、「彼はちゃんとしているね」と群衆の中でも一目置かれる存在になれるのだから。混雑したレストランに予約をせずに駆け込んだ時も、ジャケットを着ていればすんなりと席に案内してもらえるかもしれないし、何なら仕事で昇進する際の手助けにさえなってくれるかもしれない。つまりは「それなり」の人に見られたい場合、ジャケットを羽織るのが一番いいということなのだ。